今回は、(現西尾市の女学校を卒業している)茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」や石垣りんさんの「表札」という詩を紹介したいと思います。
いずれも「超」がつくらい有名な詩ですのでご存知の方も多いと思いますが、
コロナ一色の日常を過ごしている中で改めて触れてみることで、また違った何かをもたらしてくれるかもしれません。
まずは、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」
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ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
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請求記号:080||I 95||緑 195-1 図書ID:6012259
次に、石垣りんさんの「表札」です(諸事情により割愛させていただきます)。
石垣りん著『石垣りん詩集(現代詩文庫46)』思潮社、1971年
請求記号:911.56||I 73 図書ID:1340695
いかがでしょうか?
コロナが長期化する中、「コロナよりヒトの方が怖い」なんていう話をよく耳にするようになりました。
世間の重苦しさって、イヤでも意識せざるを得ないようなところがあります。
ですが、そんなことばかり考えていると気が滅入ってしまいます。
気が滅入ってくると、考えることが億劫になって、どんどんいろいろなことに無関心になっていってしまいがちです。
自分の心に波風立てたくないんですよね。
人間誰しもそういう時も必要なのかもしれませんが、
波風立てないようにし続けていると、心の感覚がどんどん鈍くなって、
しまいには感受性も表札もどこかに置き忘れてきてしまうような…。
そんなとき先程の詩を思い出したりします。
茨木のり子さんにも石垣りんさんにも、
「倚りかからず」(茨木)、「くらし」(石垣)、「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」(石垣)などなど
他にもグッとくる詩がたくさんあります。
読むたびに新たな感動がありますから、ぜひ手元において置いて、ふとした時にパラパラと読んでみてはいかがでしょうか。