本が“自分で読むもの”になったのは、いったいいつからだろう。
急にどうしたのかって? ああ、じつはね、「朗読」に出会ってからふと、
そんなことをなんとなくね、思ったりしたものだから。朗読といっても、
読み手じゃなくて、聞く側のことね。
あ、お話を聞くなんて子どもがすることじゃないの、なんて思ったでしょう。
それが違うんだな。
例えば、作者が自分の作品を朗読したり。こんな特別なことはないよ?
ことばを選んで、文章を紡ぎ出した本人が読むのを聞けるなんて。
それから、生演奏のBGMがついたり、挿絵がスライド上映されたり。
にわかに別の空間が立ち上がってきて、あっという間に引き込まれちゃうから!
まあこんなふうに、さまざまな手法、演出があって、それはそれは
贅沢な時間だったりするのよ……
どう? 光景が目に浮かぶ? ちゃんと想像力働かせてね。
ゆったりと構えて、純粋にその場、その時間を楽しむのもいいんだけど、
あるとき、自分の好きな作品が朗読劇になるというので、喜々として出かけたの。
読み手は役者さんたちだったから、それは上手に朗読するのね。役割分担を決めて、
声色を変えたり抑揚つけたりして。もうすっかり入り込んでいたわけ。
でも話が進んでいくと、知っている作品であるがゆえに違和感を覚えることが……
「あれ、今のセリフそんなふうに読んじゃう?」とか「その一文は
そういうニュアンスなの?」とか。
けれど、それがまた朗読の魅力でもあるのかなぁって。自分以外の人の読み、解釈を
知ることができるっていうことが。作品に対して自分が持っているイメージとは
また違った世界に行けるんだよね。同じ作品に接しているのに。
そういうことに気付いてから、朗読のおもしろさを発見したというか、
朗読に対する見方が変わったなぁ。格段に楽しくなった。
映像とか文字とか、目で見ることに慣れてしまっているから、
そうした作品世界だったりを、耳で聞いて感じとるっていう行為もまた
新鮮に感じるのかな。
あとはもう、体験してみて、としか言えないわ。